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年日蓮が勘えし書の立正安国論のごとく符合せしむ。恐らくは日蓮は未萌を知る者なるか。
これをもってこれを按ずるに、念仏・真言・禅・律等の悪法、一天に充満して上下の師となるの故に、かくのごとき他国侵逼難起これるなり。
法華不信の失によって、皆一同に後生は無間地獄に堕つべし。早く邪見を翻し、達磨の法を捨てて、一乗正法に帰せしむべし。
しかるあいだ、方々へ披露せしめ候のところなり。早々一処に集まって御評議有るべく候。委しくは対決の時を期す。恐々謹言。
文永五年十月十一日 日蓮 花押
謹上 寿福寺侍司御中
(072)
浄光明寺への御状
文永5年(ʼ68)10月11日 47歳 浄光明寺
大蒙古国の皇帝、日本国を奪うべきの由、牒状を渡す。このこと、先年立正安国論に勘え申せしごとく少しも相違せしめず。内々日本第一の勧賞に行わるべきかと存ぜしめ候のところ、あまつさえ御称歎に預からず候。
これしかしながら、鎌倉中の著麤の類い、律宗・禅宗等が「国王・大臣に向かって、誹謗して我が
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(071)寿福寺への御状 | 文永5年(’68)10月11日 | 47歳 | 寿福寺 |
(072)浄光明寺への御状 | 文永5年(’68)10月11日 | 47歳 | 浄光明寺 |