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も、我は補処の智力をもって、ことごとく見、ことごとく知る。しかるに、この衆においては一人をも識らず。しかるに、我は十方に遊戯して諸仏に覲奉し、大衆は快く識知するところなり」等云々。妙楽云わく「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」等云々。
経釈の心分明なり。詮ずるところは、初成道よりこのかた、此土・十方にて、これらの菩薩を見たてまつらず、きかずと申すなり。
仏この疑いを答えて云わく「阿逸多よ○汝等が昔よりいまだ見ざるところの者は、我はこの娑婆世界において阿耨多羅三藐三菩提を得已わって、この諸の菩薩を教化・示導し、その心を調伏して、道の意を発さしめたり」等。また云わく「我は伽耶城菩提樹の下において坐して、最正覚を成ずることを得て、無上の法輪を転じ、しかして乃ちこれを教化して、初めて道心を発さしむ。今、皆不退に住せり乃至我は久遠より来、これらの衆を教化せり」等云々。
ここに弥勒等の大菩薩、大いに疑いおもう。華厳経の時、法慧等の無量の大菩薩あつまる。いかなる人々なるらんとおもえば、「我が善知識なり」とおおせられしかば、さもやとうちおもいき。その後の大宝坊・白鷺池等の来会の大菩薩もしかのごとし。この大菩薩は彼らにはにるべくもなき、ふりたりげにまします。定めて釈尊の御師匠かなんどおぼしきを、「初めて道心を発さしむ」とて、「幼稚のものどもなりしを教化して弟子となせり」なんどおおせあれば、大いなる疑いなるべし。日本の聖徳太子は、人王第三十二代用明天皇の御子なり。御年六歳の時、百済・高麗・唐土より老人どものわたりたりしを、六歳の太子「我が弟子なり」とおおせありしかば、彼の老人どもまた合掌して「我が
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |