859ページ
この趣、方々へこれを驚かし、愚状を進ぜしめ候なり。恐々謹言。
文永五年戊辰十月十一日 日蓮 花押
謹上 弥源太入道殿
(068)
建長寺道隆への御状
文永5年(ʼ68)10月11日 47歳 道隆
夫れ、仏閣軒を並べ、法門屋に拒る。仏法の繁栄は身毒・支那に超過し、僧宝の形儀は六通の羅漢のごとし。しかりといえども、一代諸経においていまだ勝劣・浅深を知らず、しかしながら禽獣に同じ。たちまち三徳の釈迦如来を抛って、他方の仏菩薩を信ず。これ、あに逆路伽耶陀の者にあらずや。念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説云々。
ここに、日蓮、去ぬる文応元年の比勘えたるの書を立正安国論と名づけ、宿屋入道をもって故最明寺殿に奉りぬ。この書の所詮は、念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずるが故に、天下に災難しきりに起こり、あまつさえ他国よりこの国責めらるべきの由、これを勘えたり。
しかるに、去ぬる正月十八日、牒状到来すと。日蓮がこれを勘えたるところに少しも違わず符合せしむ。諸寺・諸山の祈禱の威力滅するが故か、はたまた悪法の故なるか。鎌倉中の上下万人、道隆聖人をば仏のごとくこれを仰ぎ、良観聖人をば羅漢のごとくこれを尊ぶ。その外、寿福寺・多宝寺・浄
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(067)北条弥源太への御状 | 文永5年(’68)10月11日 | 47歳 | 北条弥源太 |
(068)建長寺道隆への御状 | 文永5年(’68)10月11日 | 47歳 | 道隆 |