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宿屋入道への御状
文永5年(ʼ68)8月21日 47歳 宿屋光則
その後は、書、絶えて申さず。不審極まりなく候。そもそも、去ぬる正嘉元年丁巳八月二十三日戌亥刻の大地震、日蓮諸経を引いてこれを勘えたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依あるが故に、日本守護の諸大善神、瞋恚を作して起こすところの災いなり。もしこの対治無くんば他国にこの国を破らるべきの由、勘文一通これを撰し、正元二年庚申七月十六日、御辺に付し奉って、故最明寺入道殿へこれを進覧せり。
その後九箇年を経て、今年大蒙古国より牒状有るの由風聞す等云々。経文のごとくんば、彼の国よりこの国を責めんこと必定なり。しかるに、日本国の中には日蓮一人当に彼の西戎を調伏するの人たるべしと、兼ねてこれを知り、論文にこれを勘う。
君のため、国のため、神のため、仏のため、内奏を経らるべきか。委細の旨は見参を遂げて申すべく候。恐々謹言。
文永五年八月二十一日 日蓮 花押
宿屋左衛門入道殿
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(062)宿屋入道への御状 | 文永5年(’68)8月21日 | 47歳 | 宿屋光則 |