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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の経文は釈迦の説くところの諸経の中に第一なるのみにあらず、三世の諸仏の所説の中に第一なり。この外、一仏二仏の説くところの経の中に法華経に勝れたる経有りと云わば、用いるべからず。法華経は三世不壊の経なるが故なり〈これ五〉。
 また大日経等の諸経の中に法華経に勝るる経文これ無し〈これ六〉。
 釈尊御入滅より已後、天竺の論師、二十四人の付法蔵、その外、大権の垂迹、震旦の人師、南三北七の十師、三論・法相の先師の中に、天台宗より外に十界互具・百界千如・一念三千と談ずる人これ無し。もし一念三千を立てざれば、性悪の義これ無し。性悪の義無くんば、仏菩薩の普現色身、真言両界の漫荼羅、五百・七百の諸尊は、本無今有の外道の法に同ぜんか。もし十界互具・百界千如を立てば、本経いずれの経にか十界皆成の旨これを説けるや。天台円宗をば見聞するの後、邪智荘厳のために盗み取れる法門なり。才芸を誦し浮言を吐くには依るべからず。正しき経文・金言を尋ぬべきなり〈これ七〉。
 涅槃経の三十五に云わく「我処々の経の中において説いて言わく、一人世に出ずれば、多人利益す。一国土の中に二りの転輪王あり、一世界の中に二仏世に出ずといわば、この処有ることなし」文。大論の九に云わく「十方恒河沙の三千大千世界を名づけて一仏世界となす。この中にさらに余仏無し。実には一りの釈迦牟尼仏のみなり」文。記の一に云わく「世には二仏無く、国には二主無し。一仏の境界には二尊の号無し」文。地持論に云わく「世には二仏無く、国には二主無し。一仏の境界には二尊の号無し」文。
  七月 日    日蓮 花押