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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 〔真言七重難〕
 一、「真言は法華経より外に大日如来の所説なり」云々。もししからば、大日の出世・成道・説法利生は釈尊より前か後か、いかん。対機説法の仏は八相作仏す。父母は誰ぞ。名字はいかん。娑婆世界の仏と云わば、世に二仏無く国に二主無きは聖教の通判なり。涅槃経の三十五の巻を見るべきなり。もし他土の仏なりと云わば、何ぞ、我が主師親の釈尊を蔑ろにして、他方の疎縁の仏を崇むるや。不忠なり、不孝なり、逆路伽耶陀なり。もし一体と云わば、何ぞ別仏と云うや。もし別仏ならば、何ぞ我が重恩の仏を捨つるや。唐尭は老い衰えたる母を敬い、虞舜は頑ななる父を崇む〈これ一〉。
 六波羅蜜経に云わく「いわゆる過去無量恒河沙の諸仏世尊の説くところの正法、我今また当にかくのごとき説を作すべし。いわゆる八万四千の諸の妙法蘊○しかも阿難陀等の諸大弟子をして一たび耳に聞いてみな憶持せしむ」云々。この中の陀羅尼蔵を、弘法「我が真言」と云えり。もししからば、この陀羅尼蔵は釈迦の説にあらざるか。この説に違す〈これ二〉。
 およそ法華経は無量千万億の已説・今説・当説に最も第一なり。諸仏の所説、菩薩の所説、声聞の所説にこの経第一なり。諸仏の中に大日漏るべしや。法華経は正直無上道の説なり。大日等の諸仏、長舌を梵天に付けて真実と示し給う〈これ三〉。
 威儀形色経に「身相、黄金色にして常に満月輪に遊び、定慧智拳の印もて法華経を証誠す」と。また五仏章の仏も法華経第一と見えたり〈これ四〉。
 「要をもってこれを言わば、如来の一切の所有の法乃至皆この経において宣示顕説す」云々。これら