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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

かい奉るがごとし。太公等の四聖の衆中にありしににたり。商山の四皓が恵帝に仕えしにことならず。巍々堂々として尊高なり。釈迦・多宝・十方の分身を除いては、一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし。
 弥勒菩薩、心に念言すらく「我は、仏の太子の御時より、三十成道、今の霊山まで四十二年が間、この界の菩薩、十方世界より来集せし諸の大菩薩、皆しりたり。また十方の浄穢土に、あるいは御使い、あるいは我と遊戯して、その国々に大菩薩を見聞せり。この大菩薩の御師なんどは、いかなる仏にてやあるらん。よも、この釈迦・多宝・十方の分身の仏陀にはにるべくもなき仏にてこそおわすらめ。雨の猛きを見て竜の大なることをしり、華の大なるを見て池のふかきことはしんぬべし。これらの大菩薩の来れる国、また誰と申す仏にあいたてまつり、いかなる大法をか習い修し給うらん」と疑わし。
 あまりの不審しさに音をもいだすべくもなけれども、仏力にやありけん、弥勒菩薩疑って云わく「無量千万億大衆の諸の菩薩は、昔よりいまだかつて見ざるところなり。この諸の大威徳・精進の菩薩衆は、誰かそれがために法を説き、教化して成就せる。誰に従ってか初めて発心し、いずれの仏法を称揚せる○世尊よ。我は昔より来、いまだかつてこの事を見ず。願わくは、その従るところの国土の名号を説きたまえ。我は常に諸国に遊べども、いまだかつてこの事を見ず。我はこの衆の中において、いまし一人をも識らず。忽然に地より出でたり。願わくは、その因縁を説きたまえ」等云々。
 天台云わく「寂場より已降、今座より已往、十方の大士来会して絶えず。限るべからずといえど