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顕密のこと。無量義経十功徳品〈第四功徳の下〉に云わく「深く諸仏の秘密の法に入って、演説すべきところは、違うこと無く失無し」と。
そもそも、大日の三部を密教と云い法華経を顕教と云うこと、金言の出ずるところを知らず。詮ずるところ、真言を密と云うは、この密は隠密の密なるか、微密の密なるか。物を秘するに二種有り。一には金銀等を蔵に籠むるは微密なり。二には疵・片輪等を隠すは隠密なり。しからば則ち、真言を密と云うは隠密なり。その故は、始成と説く故に長寿を隠し、二乗を隔つる故に記小無し。この二つは教法の心髄、文義の綱骨なり。微密の密は法華なり。しからば則ち、文に云わく、四の巻の法師品に云わく「薬王よ。この経はこれ諸仏の秘要の蔵なり」云々。五の巻の安楽行品に云わく「文殊師利よ。この法華経は、諸仏如来の秘密の蔵にして、諸経の中において最もその上に在り」云々。寿量品に云わく「如来の秘密・神通の力」云々。如来神力品に云わく「如来の一切の秘要の蔵」云々。しかのみならず、真言の高祖・竜樹菩薩は「法華経を秘密と名づく。二乗作仏有るが故に」と釈せり。
次に二乗作仏無きを秘密とせずば、真言は即ち秘密の法にあらず。所以はいかん。大日経に云わく「仏、不思議真言相道の法を説いて、一切の声聞・縁覚と共ならず。また世尊あまねく一切衆生のためにするにあらず」云々。二乗を隔つること、前四味の諸教に同じ。したがって、唐決には方等部の摂と判ず。経文には四教含蔵と見えたり。
大論第百巻に云わく〈第九十品を釈す〉「問うて曰わく、さらにいずれの法か甚深にして般若に勝れたるもの有って、般若をもって阿難に嘱累し、余経をば菩薩に嘱累するや。答えて曰わく、般若波羅蜜
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(061)真言見聞 | 文永9年(’72)7月 | 51歳 |