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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 罪に軽重有れば、獄に浅深を構えたり。殺生・偸盗等、乃至一大三千世界の衆生を殺害すれども、等活・黒縄等の上七大地獄の因として、無間に堕つることはすべて無し。阿鼻の業因は、経論の掟は五逆・七逆・因果撥無・正法誹謗の者なり。ただし、五逆の中に一逆を犯す者は無間に堕つといえども、一中劫を経て罪を尽くして浮かぶ。一戒をも犯さず道心堅固にして後世を願うといえども、法華に背きぬれば無間に堕ちて無数劫に展転すと見えたり。しからば則ち、謗法は無量の五逆に過ぎたり。これをもって国家を祈らんに、天下はた泰平なるべしや。
 諸法は現量にしかず。承久の兵乱の時、関東にはその用意もなし。国主として調伏を企て、四十一人の貴僧に仰せて、十五壇の秘法を行わる。その中に守護経の法を、紫宸殿にして御室始めて行わる。七日に満ぜし日、京方負け畢わんぬ。亡国の現証にあらずや。これはわずかに今生の小事なり。権教・邪法によって悪道に堕ちんこと、浅ましかるべし。
 問う。権教・邪宗の証文はいかん。既に、真言教は大日覚王の秘法、即身成仏の奥蔵なり。故に、上下一同にこの法に帰し、天下ことごとく大法を仰ぐ。海内を静め、天下を治むること、ひとえに真言の力なり。権教・邪法と云うこと、いかん。
 答う。権教と云うこと、四教含蔵・帯方便の説なる経文顕然なればなり。しかれば、四味の諸教に同じて、久遠を隠し二乗を隔つ。いわんや、尽形寿の戒等を述ぶれば、小乗・権教なること疑いなし。ここをもって遣唐の疑問に、禅林寺の広修・国清寺の維蠲の決判、分明に方等部の摂と云うなり。
 疑って云わく、経文の権教なるはしばらくこれを置く。唐決のことは、天台の先徳・円珍大師これ