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大宋の高僧伝の巻第二十七に「代宗〈玄宗・代宗の御宇に真言わたる〉、光〈含光は不空三蔵の弟子なり〉を重んずること、不空を見るがごとし。勅委して五台山に往って功徳を修せしむ。時に天台の宗学・湛然〈妙楽、天台第六の師なり〉、禅観を解了して、深く智者〈天台なり〉の膏腴を得たり。かつて江淮の僧四十余人と清涼の境界に入る。湛然、光と相見えて、西域伝法のことを問う。光云わく『一国の僧、空宗を体解する有り。問うて智者の教法に及ぶ。梵僧云わく、かつて聞く、この教は邪正を定め、偏円を暁り、止観を明かして、功第一と推すと。再三、光に嘱す。あるいは因縁あって重ねて至らば、ために唐を翻じて梵となして附し来れ、某願わくは受持せんと。しばしば手を握って叮嘱す』。詳らかにするに、それ南印土には多く竜樹の宗見を行ず。故にこの流布を願うことあるなり」。
菩提心義の三に云わく「一行和尚は元これ天台一行三昧の禅師なり。能く天台円満の宗趣を得たり。故に、およそ説くところの文言・義理、ややもすれば天台に合す。不空三蔵の門人・含光、天竺に帰るの日、天竺の僧問わく『伝え聞く、彼の国に天台の教有り、理致ありと。すべからく翻訳してこの方に将来すべきか』云々。この三蔵の旨もまた天台に合す。今、ある阿闍梨云わく『真言を学せんと欲せば、まず共に天台を学せよ』。しかして門人皆瞋る」云々。
問うて云わく、華厳経に一念三千を明かすや。
答えて云わく「心、仏および衆生」等云々。止観の一に云わく「この一念の心は、縦ならず横ならず、不可思議なり。ただ己のみしかるにあらず。仏および衆生もまたかくのごとし。華厳に云わく『心、仏および衆生、この三つは差別無し』。当に知るべし、己心に一切の法を具することを」文。弘
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(060)八宗違目抄 | 文永9年(’72)2月18日 | 51歳 | (富木常忍) |