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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 華厳宗
 三論宗   釈尊をもって本尊となすといえども、法身は無始無終、報身は有始無終、応身は有始有終
 法相宗
 真言宗   一向に大日如来をもって本尊となす
        二義有り   一義に云わく、大日如来は釈迦の法身なり
               一義に云わく、大日如来は釈迦の法身にはあらず
        ただし、大日経には、大日如来は釈迦牟尼仏なりと見えたり。人師よりの僻見なり
 浄土宗   一向に阿弥陀如来をもって本尊となす
 法華宗より外の真言等の七宗ならびに浄土宗等は、釈迦如来をもって父となすことを知らず。例せば、三皇已前の人、禽獣に同ずるがごとし。鳥の中には鷦鷯鳥も鳳凰鳥も父を知らず。獣の中には兎も師子も父を知らず。三皇已前は大王も小民も共にその父を知らず。天台宗より外の真言等の諸宗は、大乗宗は師子と鳳凰のごとく、小乗宗は鷦鷯と兎等のごとく、共に父を知らざるなり。
 華厳宗に十界互具・一念三千を立つること、澄観の疏にこれ有り。真言宗に十界互具・一念三千を立つること、大日経の疏にこれを出だす。天台宗と同異いかん、天台宗已前にも十界互具・一念三千を立つるや。
 記の三に云わく「しかるに、衆釈を攢むるに、既に三乗および一乗を許せば、三・一ともに性相等の十有り。何すれぞ六道の十を語らざるや」。