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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

れを制止すとなすべきか。また已説の権大乗経に未説の実大乗経を載せて未来流布の法華経を制止せば、何が故に、爾前経において法華の名を載せざる由、仏これを説きたもうや。
 法然上人の慈悲のこと、「慈悲の故に法華経と教主釈尊とを抛つなり」と云わば、詮ずるところ、上に出だすところの証文はいまだ分明ならず。慥かなる証文を出だして、法然上人の極苦を救わるべきか。
 「上の六品の諸行往生を下の三品の念仏に対して諸行を捨つ。あに法華を捨つるにあらずや」等云々とは、観無量寿経の上の六品の諸行は法華已前の諸行なり。たとい下の三品の念仏に対して上の六品の諸行これを抛つとも、ただ法華経のみは諸行に入らず。何ぞこれを閣かんや。また法華の意は、爾前の諸行と観経の念仏と共にこれを捨て畢わって、如来出世の本懐を遂げ給うなり。
 日蓮、管見をもって一代聖教ならびに法華経の文を勘うるに、いまだこれを見ず、法華経の名を挙げて、あるいはこれを抛て、あるいはその門を閉じよ等ということを。もししからば、法然上人の憑むところの弥陀本願の誓文、ならびに法華経の「阿鼻獄に入らん」の釈尊の誡文、いかんぞ、これを免るべけんや。法然上人、無間獄に堕ちなば、所化の弟子ならびに諸の檀那等、共に阿鼻大城に堕ち了わんぬるか。今度分明なる証文を出だして、法然上人の阿鼻の炎を消さるべし云々。
  文永九年太歳壬申正月十七日
    日蓮 花押
    弁成 花押