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に華厳等の大法を説くを聞けども、と謂うなり。『いまだかつてかくのごとき深妙の上法を聞かず』とは、いまだ法華経の唯一仏乗の教えを聞かざるを謂うなり」等云々。華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経は、いまだ一代の肝心たる一念三千の大綱・骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだきかずと領解せり。
開目抄下
また今よりこそ、諸の大菩薩も梵帝・日月・四天等も教主釈尊の御弟子にては候え。されば、宝塔品には、これらの大菩薩を仏我が御弟子等とおぼすゆえに、諫暁して云わく「諸の大衆に告ぐ。我滅度して後、誰か能くこの経を護持し読誦せん。今、仏前において、自ら誓言を説け」とはしたたかに仰せ下せしか。また諸の大菩薩も「譬えば大風の小樹の枝を吹くがごとし」等と、吉祥草の大風に随い、河水の大海へ引くがごとく、仏には随いまいらせしか。
しかれども、霊山日浅くして夢のごとく、うつつならずありしに、証前の宝塔の上に起後の宝塔あって、十方の諸仏来集せる、皆我が分身なりとなのらせ給い、宝塔は虚空に、釈迦・多宝坐を並べ、日月の青天に並出せるがごとし。人天大会は星をつらね、分身の諸仏は大地の上、宝樹の下の師子のゆかにまします。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |