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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 問う。法華第一というは顕教の門なり。真言に対すれば第一とは云うべからず。
 答う。自義なるか、経文なるか。ここをもって、慈覚大師を無間と申すなり。
  一義に云わく、真言に対して法華第一ならば、亡国は治定なるか。
  一義に云わく、真言は已今当の中にはいずれぞや。もし外と云わば、一機一縁の一往にして、秘密とは云わるべからざるなり。
 問う。法華と真言とは理同事勝の故に、真言に対すれば戯論の法と云うか。
 答う。一義に云わく、さてこそ汝は無間治定なれ。
  一義に云わく、さては慈覚は真言をも謗ずるなり。その故は理同の法華を謗ずるが故なり。
 問う。伝教の本理大綱集の文をもって顕密は同じと云うこと。
 答う。一義に云わく、この書は伝教の御作にあらざるなり。
  一義に云わく、この書に依って法華を慈覚は謗ずるか。

〔東寺流の問答〕
 問う。真言は釈尊の説と云うこと、その証拠いかん。
 答う。もし真言、釈尊の説ならば、亡国は治定なるか。もししかなりと云わば、弘法大師五蔵を立つる時、法華を六波羅蜜経の五蔵の第四の般若波羅蜜蔵、第五の陀羅尼蔵をば真言と建立し給えり、いかん。