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一義に云わく、いずれの教の絶待ぞや。
一義に云わく、この故に慈覚は法華を謗ずるか。
問う。相待は一往、絶待は再往と見えたり、いかん。
答う。自義なるか、経文なるか。
一義に云わく、相待妙は一往というは、二十八品の中にはいずれに見えたるや。
一義に云わく、相待妙は法華に明かすか、余経に明かすか。もし法華に明かさば、法華は一往なるか。
問う。約教・約部の故に、約部の日は一往爾前の円を嫌うなり。
答う。一義に云わく、言うところの約教は、天台の判釈の四種の約教の中にはいずれぞや。
一義に云わく、約部は落居の釈なるか。
一義に云わく、約部を捨つべきか。
一義に云わく、約教の時、爾前の円を嫌わば、堕獄は治定なるか。
一義に云わく、約教の辺にて今昔の円同じとは、法華経二十八品の中にはいずれぞや。
一義に云わく、玄文の第一の施・開・廃の三重の故に開会の後も余経を捨つという文をば、知るか、知らざるか。
〔山門流の真言宗問答〕
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(058)早勝問答 | 文永8年(’71) | 50歳 |