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はなはだいわれなし。彼は法開会の文にして、全く人開会なし。いかでか法華の摂と云わるべき。法開会の文は、方等・般若にも盛んに談ずれども、法華に等しきことなし。彼の大日経の始終を見るに、四教の旨、つぶさにあり。もっとも方等の摂と云うべし。所以は、開権顕実の旨有らざれば、法華と云うまじ。一向小乗三蔵の義無ければ、阿含の部とも云うべからず。般若畢竟空を説かねば、般若部とも云うべからず。大小の四教の旨を説くが故に、方等部と云わずんば、いずれの部とか云わん。
また一代五時を離れて外に仏法有りと云うべからず。もし有らば、二仏並出の失あらん。またその法を釈迦統領の国土にきたして弘むべからず。
次に弘法大師、釈摩訶衍論を証拠として、法華を「無明の辺域、戯論の法」と云うこと。これ、もっての外のことなり。釈摩訶衍論は竜樹菩薩の造なり。これは釈迦如来の御弟子なり。いかでか、弟子の論をもって、師の一代第一と仰せられし法華経を押し下して「戯論の法」等と云うべきや。しかも論にその明文無し。したがって、彼の論の法門は別教の法門なり、権教の法門なり。これ円教に及ばず、また実教にあらず。いかにしてか法華を下すべき。その上、彼の論にいくばくの経をか引くらん。されども法華経を引くことはすべてこれなし。権論の故なり。地体、弘法大師の華厳より法華を下されたるは、遥かに仏意にはくい違いたる心地なり。用いるべからず、用いるべからず。
日蓮 花押
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(057)真言天台勝劣事 | 文永7年(’70) | 49歳 |