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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

なんどの、日蓮に責め落とされて、我が身は謗法の者なりけりと思う者もこれあり。
 聖道の人々の御中にこそ、実の謗法の人々は侍れ。彼の人々の仰せらるることは「法華経を毀る念仏者も不思議なり。念仏者を毀る日蓮も奇怪なり。念仏と法華とは一体のものなり。されば、『法華経を読むこそ念仏を申すよ、念仏申すこそ法華経を読むにては侍れ』と思うことに候なり」と、かくのごとく仰せらるる人々、聖道の中にあまたおわしますと聞こゆ。したがって、檀那もこの義を存して、日蓮ならびに念仏者をおこがましげに思えるなり。
 まず、日蓮がこれ程のことをしらぬと思えるは、はかなし。仏法漢土に渡り初めしことは後漢の永平なり。渡りとどまることは唐の玄宗皇帝開元十八年なり。渡れるところの経・律・論五千四十八巻、訳者一百七十六人、その経々の中に南無阿弥陀仏は即ち南無妙法蓮華経なりと申す経は一巻一品もおわしまさざることなり。その上、阿弥陀仏の名を仏説き出だし給うことは、始め華厳より終わり般若経に至るまで四十二年が間に所々に説かれたり。ただし阿含経をば除く。一代聴聞の者これを知れり。妙法蓮華経と申すことは、仏の御年七十二、成道より已来四十二年と申せしに、霊山にましまして無量義処三昧に入り給いし時、文殊・弥勒の問答に過去の日月灯明仏の例を引いて「我は灯明仏を見たてまつりしに乃至法華経を説かんと欲するならん」と先例を引きたりし時こそ、南閻浮提の衆生は法華経の御名をば聞き初めたりしか。
 三の巻の心ならば、阿弥陀仏等の十六の仏は、昔大通智勝仏の御時、十六の王子として法華経を習って、後に正覚をならせ給えりと見えたり。弥陀仏等も凡夫にておわしませし時は、妙法蓮華経の五