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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

や。よにおそろしくこそおぼえ候え。
 答えて云わく、始めに「智者の申され候」と御物語り候いつるこそ、法華経をいいうとむる悪知識の語にて侍れ。末代に法華経を失うべき者は、心には一代聖教を知りたりと思って、しかも心には権実二経を弁えず、身には三衣一鉢を帯し、あるいは阿練若に身をかくし、あるいは世間の人にいみじき智者と思われて、しかも法華経をよくよく知る由を人に知られなんとして、世間の道俗には三明六通の阿羅漢のごとく貴ばれて法華経を失うべしと見えて候。
 問うて云わく、その証拠いかん。
 答えて云わく、法華経勧持品に云わく「諸の無智の人の、悪口・罵詈等し、および刀杖を加うる者有らん。我らは皆当に忍ぶべし」文。妙楽大師、この文の心を釈して云わく「初めに一行は通じて邪人を明かす。即ち俗衆なり」文。文の心は、この一行は在家の俗男・俗女が権教の比丘等にかたらわれて敵をすべしとなり。
 経に云わく「悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、いまだ得ざるを謂って得たりとなし、我慢の心は充満せん」文。妙楽大師、この文の心を釈して云わく「次に一行は道門増上慢の者を明かす」文。文の心は、悪世末法の権教の諸の比丘、我法を得たりと慢じて、法華経を行ずるものの敵となるべしということなり。
 経に云わく「あるいは阿練若に納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂って、人間を軽賤する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣のために法を説いて、世の恭敬するところとなること、