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(056)
題目弥陀名号勝劣事
文永元年(ʼ64) 43歳
南無妙法蓮華経と申すことは唱えがたく、南無阿弥陀仏・南無薬師如来なんど申すことは唱えやすく、また文字の数のほども大旨は同じけれども、功徳の勝劣は遥かに替わりて候なり。
天竺の習い、仏出世の前には二天三仙の名号を唱えて天を願いけるに、仏世に出でさせ給いては仏の御名を唱う。しかるに、仏の名号を二天三仙の名号に対すれば、天の名は瓦礫のごとし、仏の名号は金銀・如意宝珠等のごとし。また、諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば、瓦礫と如意宝珠のごとくに侍るなり。
しかるを、仏教の中の大小・権実をも弁えざる人師なんどが、仏教を知りがおにして、仏の名号を外道等に対して如意宝珠に譬えたる経文を見、また法華経の題目を如意宝珠に譬えたる経文と喩えの同じきをもって、念仏と法華経とは同じことと思えるなり。同じことと思う故に、また世間に貴しと思う人のただ弥陀の名号ばかりを唱うるに随って、皆人、一期の間、一日に六万遍・十万遍なんど申せども、法華経の題目をば一期に一遍も唱えず。あるいは世間に智者と思われたる人々、外には智者気にて内には仏教を弁えざるが故に、念仏と法華経とはただ一つなり、南無阿弥陀仏と唱うれば法華
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(056)題目弥陀名号勝劣事 | 文永元年(’64) | 43歳 |