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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 ただし、仏法日本に渡り始めし時、しばらく小乗の三宗、権大乗の三宗を弘むといえども、桓武の御宇に伝教大師の御時、六宗は情を破って天台宗と成りぬ。俱舎・成実・律の三宗の学者も、彼の教えのごとく七賢・三道を経て見思を断じ二乗と成らんとは思わず。ただ彼の宗を習って大乗の初門となし、彼の極を得んとは思わず。権大乗の三宗を習える者も、五性各別等の宗義を捨てて、一念三千・五輪等の妙観を窺う。大小・権実を知らざる在家の檀那等も、一向に法華・真言の学者の教えに随ってこれを供養するあいだ、日本一洲は印度・震旦には似ず、一向純円の機なり。恐らくは霊山八年の機のごとし。
 これをもってこれを思うに、浄土の三師は震旦にして権大乗の機に超えず。法然においては、純円の機、純円の教、純円の国を知らず。権大乗の一分たる観経等の念仏、権実をも弁えざる震旦の三師の釈、これをもってこの国に流布せしめ、実機に権法を授け、純円の国を権教の国と成し、醍醐を嘗むる者に蘇味を与うるの失、誠にはなはだ多し。