SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

実に仏の頂を踏まんか、梵天もその頂を見ずと云えり。薄地、いかでかこれを踏むべきや。
 夫れ、仏は一切衆生において主師親の徳有り。もし恩徳広き慈父を踏まんは、不孝・逆罪の大愚人・悪人なり。孔子の典籍なおもってこの輩を捨つ。いわんや如来の正法をや。あに、この邪類・邪法を讃めて無量の重罪を獲んや云々。在世の迦葉は「頭頂もて礼敬す」と云う。滅後の闇禅は「頂上を踏む」と云う。恐るべし。
 禅宗云わく「教外に別伝し、文字を立てず」。
 答えて云わく、およそ世に流布の教に三種を立つ。一には儒教、これに二十七種あり。二には道教、これに二十五家あり。三には十二分教、天台宗には四教八教を立つるなり。これらの教の外と立つるか。
 医師の法には、本道の外を外経師と云う。人間の言には、姓のつづかざるをば外戚と云う。仏教には、経論にはなれたるをば外道と云う。涅槃経に云わく「もし仏の所説に順わざる者有らば、当に知るべし、この人はこれ魔の眷属なり」云々。弘決九に云わく「法華已前は、なおこれ外道の弟子のごときなり」云々。
 禅宗云わく、「仏祖も伝えず」云々。
 答えて云わく、しかれば、何ぞ、西天の二十八祖、東土の六祖を立つるや。「摩訶迦葉に付嘱す」の立義、すでに破るるか。自語相違はいかん。
 禅宗云わく、「向上の一路は千聖も伝えず」云々。