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嘉禄三年七月五日に山門に下さるる宣旨に云わく、
専修念仏の行は諸宗衰微の基なり。これに因って代々の御門、しきりに厳旨を降され、殊に禁遏を加うるところなり。しかるを、頃年また興行を構え、山門訴え申さしむるのあいだ、先符に任せて仰せ下さるること先に畢わんぬ。その上、かつは仏法の陵夷を禁ぜんがため、かつは衆徒の鬱訴を優らぐるによって、その根本と謂わるる隆寛・成覚・空阿弥陀仏等をもってその身を遠流に処せしむべきの由、不日に宣下せらるるところなり。余党においては、その在所を尋ね捜して、帝土を追却すべきなり。この上は早く愁訴を慰んじて蜂起を停止すべきの旨、時刻を回らさず御下知有るべく候。ていれば、綸言かくのごとし。頼隆、誠恐頓首謹言。
七月五日酉刻 右中弁頼隆 奉る
進上 天台座主大僧正御房政所
同七月十三日山門に下さるる宣旨に云わく、
専修念仏興行の輩を停止すべきの由、五畿七道に宣下せられ畢わんぬ。かつは御存知あるべく候。綸言かくのごとし。これを悉くせ。頼隆、誠恐頓首謹言。
七月十三日 右中弁頼隆 奉る
進上 天台座主大僧正御房政所
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(051)念仏無間地獄抄 | 建長7年(’55) | 34歳 |