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ず顕るるが故に、縁と云うなり。
しかるに、今、この一と大と事と因と縁との五事和合して、値い難き善知識の縁に値って五仏性を顕さんこと、何の滞りか有らんや。春の時来って風雨の縁に値いぬれば、無心の草木も皆ことごとく萌え出でて花を生じ、敷き栄えて世に値う気色なり。秋の時に至って月光の縁に値いぬれば、草木皆ことごとく実成り熟して、一切の有情を養育し寿命を続ぎ長養し、終に成仏の徳用を顕す。これを疑い、これを信ぜざるの人有るべしや。無心の草木すら、なおもってかくのごとし。いかにいわんや人倫においてをや。
我らは迷いの凡夫なりといえども、一分の心も有り解も有り、善悪を分別し、折節を思い知る。しかるに、宿縁に催されて、生を仏法流布の国土に受けたり。善知識の縁に値いなば因果を分別して成仏すべき身をもって、善知識に値うといえども、なお草木にも劣って、身中の三因仏性を顕さずして黙止せる謂れあるべきや。この度必ず必ず生死の夢を覚まし、本覚の寤に還って生死の紲を切るべし。
今より已後は、夢の中の法門を心に懸くべからざるなり。三世の諸仏と一心と和合して妙法蓮華経を修行し、障り無く開悟すべし。自行と化他との二教の差別は鏡に懸けて陰り無し。三世の諸仏の勘文かくのごとし。秘すべし、秘すべし。
弘安二年己卯十月 日 日蓮 花押
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(049)三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄) | 弘安2年(’79)10月 | 58歳 |