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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

と思うは虚事なれば、成仏の言無し。沙汰の外のことなり。無明は夢の蝶のごとしと判ずれば、我らが僻思いはなお昨日の夢のごとく、性・体無き妄想なり。誰の人か虚夢の生死を信受して疑いを常住涅槃の仏性に生ぜんや。
 止観に云わく「無明癡惑、本よりこれ法性なり。癡迷をもっての故に、法性変じて無明と作り、諸の顚倒の善・不善等を起こす。寒来って水を結べば変じて堅氷と作るがごとく、また眠り来って心を変ずれば種々の夢有るがごとし。今当に諸の顚倒は即ちこれ法性にして一ならず異ならずと体すべし。顚倒起滅すること旋火輪のごとしといえども、顚倒の起滅を信ぜずして、ただこの心ただこれ法性なりと信ず。起はこれ法性の起、滅はこれ法性の滅なり。それ実には起滅せざるをみだりに起滅すと謂うと体す。ただ妄想を指すにことごとくこれ法性なり。法性をもって法性に繫け、法性をもって法性を念ず。常にこれ法性なり。法性ならざる時無し」已上。かくのごとく、法性ならざる時の隙も無き理の法性に、夢の蝶のごとくなる無明において実有の思いを生じてこれに迷うなり。
 止観の九に云わく「譬えば、眠りの法、心を覆って、一念の中に無量世の事を夢みるがごとし」乃至「寂滅真如に何の次位か有らん」乃至「一切衆生即ち大涅槃なり。また滅すべからず。何の次位・高下・大小有らんや。不生不生にして不可説なれども、因縁有るが故に、また説くことを得べし。十因縁の法、生のために因と作る。虚空に画き方便もて樹を種うるがごとく、一切の位を説くのみ」已上。
 十法界の依報・正報は法身の仏の一体三身の徳なりと知って、「一切法は皆これ仏法なり」と通達