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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ければ、正本の文書にあらず。全く実の仏無し。実の仏無きが故に、夢の中の文書なり。浄土に無きが故なり。
 十法界は十なれども、十如是は一つなり。譬えば、水中の月は無量なりといえども、虚空の月は一つなるがごとし。九法界の十如是は、夢の中の十如是なるが故に、水中の月のごとし。仏法界の十如是は、本覚の寤の十如是なれば、虚空の月のごとし。この故に、仏界の一つの十如是顕れぬれば、九法界の十如是の水中の月のごときも一つも闕減無く同時に皆顕れて、体と用と一具にして一体の仏と成る。十法界を互いに具足して平等なる十界の衆生なれば、虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕くることなし。故に、十如是は本末究竟して等しく差別無し。本とは衆生の十如是なり。末とは諸仏の十如是なり。諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば、衆生はこれ本なり、諸仏はこれ末なり。
 しかるを、経に云わく「今この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」已上。仏成道の後に、化他のための故に迹の成道を唱えて、生死の夢の中にして本覚の寤を説きたもうなり。智慧を父に譬え、愚癡を子に譬えて、かくのごとく説き給えるなり。衆生は本覚の十如是なりといえども、一念の無明眠りのごとく心を覆い、生死の夢に入って本覚の理を忘れ、髪筋を切るほどに過去・現在・未来の三世の虚夢を見るなり。仏は寤の人のごとくなれば、生死の夢に入って衆生を驚かし給える智慧は、夢の中にて父母のごとく、夢の中なる我らは子息のごとくなり。この道理をもって「ことごとくこれ吾が子なり」と言うなり。この理を思い解けば、諸仏と我らとは