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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

せば、生ずべき始めも無きが故に、死すべき終わりも無し。既に生死を離れたる心法にあらずや。劫火にも焼けず、水災にも朽ちず、剣刀にも切られず、弓箭にも射られず。芥子の中に入れども、芥子も広からず、心法も縮まらず。虚空の中に満つれども、虚空も広からず、心法も狭からず。
 善に背くを悪と云い、悪に背くを善と云う。故に、心の外に善無く悪無し。この善と悪とを離るるを無記と云うなり。善・悪・無記、この外には心無く、心の外には法無きなり。故に、善悪も、浄穢も、凡夫・聖人も、天地も、大小も、東西南北・四維・上下も、言語の道断え、心行の所滅す。心に分別して思い言い顕す言語なれば、心の外には分別も無分別も無し。言と云うは、心の思いを響かして声を顕すを云うなり。凡夫は我が心に迷って、知らず覚らざるなり。仏はこれを悟り顕して神通と名づくるなり。神通とは、神の一切の法に通じて礙り無きなり。この自在の神通は、一切の有情の心にてあるなり。故に、狐狸も分々に通を現ずること、皆、心の神の分々の悟りなり。この心の一法より国土世間も出来することなり。
 一代聖教とは、この事を説きたるなり。これを八万四千の法蔵とは云うなり。これ皆ことごとく一人の身中の法門にてあるなり。しかれば、八万四千の法蔵は我が身一人の日記文書なり。この八万法蔵を我が心中に孕み持ち、懐き持ちたり。我が身中の心をもって、仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり。この心が、善悪の縁に値って善悪の法をば造り出だせるなり。
 華厳経に云わく「心は工みなる画師の種々の五陰を造るがごとく、一切世間の中に法として造らざることなし。心のごとく仏もまたしかなり。仏のごとく衆生もしかなり。三界は、ただ一心なり。心