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依の弘教は扇と樹とのごとし乃至月と風とを知らしむるなり」已上。夢の中の煩悩の雲重畳せること山のごとく、その数八万四千の塵労にて、心性本覚の月輪を隠す。扇と樹とのごとくなる経論の文字・言語の教えをもって、月と風とのごとくなる本覚の理を覚知せしむる聖教なり。故に、文と語とは扇と樹とのごとし文。
上の釈は一往の釈とて実義にあらざるなり。月のごとくなる妙法の心性の月輪と、風のごとくなる我が心の般若の慧解とを訓え知らしむるを、妙法蓮華経と名づく。故に、釈籤に云わく「声色の近名を尋ねて無相の極理に至らしむ」已上。「声色の近名」とは、扇と樹とのごとくなる夢の中の一切の経論の言説なり。「無相の極理」とは、月と風とのごとくなる寤の我が身の心性の寂光の極楽なり。
この極楽とは、十方法界の正報の有情と十方法界の依報の国土と和合して一体なり。三身即一・四土不二の法身の一仏なり。十界を身となすは法身なり。十界を心となすは報身なり。十界を形となすは応身なり。十界の外に仏無く仏の外に十界無くして、依正不二なり、身土不二なり。一仏の身体なるをもって寂光土と云う。この故に無相の極理とは云うなり。生滅無常の相を離れたるが故に無相と云うなり。「法性の淵底、玄宗の極地」なり。故に極理と云う。この無相の極理なる寂光の極楽は、一切有情の心性の中に有って清浄・無漏なり。これを名づけて「妙法の心蓮台」とは云うなり。この故に、「心の外に別の法無し」と云う。これを「一切法は皆これ仏法なりと通達し解了す」とは云うなり。
生と死と二つの理は、生死の夢の理なり、妄想なり、顚倒なり。本覚の寤をもって我が心性を糾
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(049)三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄) | 弘安2年(’79)10月 | 58歳 |