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ん」等云々。第五に云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」等云々。また云わく「諸の無智の人の、悪口・罵詈等するもの有らん」。また云わく「国王・大臣・婆羅門・居士に向かって、誹謗して我が悪を説いて『これ邪見の人』と謂わん」。また云わく「しばしば擯出せられん」等云々。また云わく「杖木・瓦石もて、これを打擲せん」等云々。涅槃経に云わく「その時、多く無量の外道有って、和合して共に摩訶陀国の王・阿闍世の所に往きぬ○『今、ただ一りの大悪人有り、瞿曇沙門なり○一切の世間の悪人は、利養のための故に、その所に往き集まって眷属となり、善を修すること能わず。呪術の力の故に、迦葉および舎利弗・目犍連等を調伏す』と」云々。天台云わく「いかにいわんや未来をや。理、化し難きに在るなり」等云々。妙楽云わく「障りいまだ除かざる者を怨となし、聞くことを喜ばざる者を嫉と名づく」等云々。
南三北七の十師、漢土の無量の学者、天台を怨敵とす。得一云わく「咄いかな智公よ。汝はこれ誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根をもって、覆面舌の所説を謗ず」等云々。東春に云わく「問う。在世の時そこばくの怨嫉あり。仏滅度の後この経を説く時、何が故ぞまた留難多きや。答えて曰わく、俗に良薬口に苦しと云うがごとく、この経は五乗の異執を廃して一極の玄宗を立つ。故に、凡を斥け聖を呵し、大を排し小を破し、天魔を銘じて毒虫となし、外道を説いて悪鬼となし、執小を貶って貧賤となし、菩薩を拙めて新学となす。故に、天魔は聞くことを悪み、外道は耳に逆らい、二乗は驚怪し、菩薩は怯行す。かくのごときの徒、ことごとく留難をなす。『怨嫉多し』の言、あに唐しからんや」等云々。顕戒論に云わく「僧統奏して曰わく『西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言を吐く禿頭沙門あ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |