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これらの文の心は、釈尊入滅の後、第五の五百歳と説くも、末世と云うも、濁悪世と説くも、正像二千年過ぎて末法の始め二百余歳の今の時はただ法華経ばかり弘まるべしという文なり。その故は、人既にひがみ、法も実にしるしなく、仏神の威験もましまさず、今生・後生の祈りも叶わず。かからん時は、たよりを得て天魔波旬乱れ入り、国土常に飢渇して、天下も疫癘し、他国侵逼難・自界叛逆難とて、我が国に軍・合戦常に有って、後には他国より兵どもおそい来ってこの国を責むべしと見えたり。かくのごとき闘諍堅固の時は、余経の白法は験失せて、法華経の大良薬をもってこの大難をば治すべしと見えたり。法華経をもって国土を祈らば、上一人より下万民に至るまで、ことごとく悦び栄え給うべき鎮護国家の大白法なり。
ただし、阿闍世王・阿育大王は、始めは悪王なりしかども、耆婆大臣の語を用い夜叉尊者を信じ給いて後にこそ、賢王の名をば留め給いしか。南三北七を捨てて智顗法師を用い給いし陳主、六宗の碩徳を捨てて最澄法師を用い給いし桓武天皇は、今に賢王の名を留め給えり。智顗法師というは後には天台大師と号し奉る。最澄法師は後には伝教大師という、これなり。今の国主もまたかくのごとし。現世安穏・後生善処なるべきこの大白法を信じて国土に弘め給わば、万国にその身を仰がれ、後代に賢人の名を留め給うべし。知らず、また無辺行菩薩の化身にてやましますらん。
また、妙法の五字を弘め給わん智者をば、いかに賤しくとも、上行菩薩の化身か、また釈迦如来の御使いかと思うべし。また、薬王菩薩・薬上菩薩、観音・勢至等の菩薩は、正像二千年の御使いなり。これらの菩薩たちの御番は、はや過ぎたれば、上古のように利生有るまじきなり。されば、当世の祈
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(048)法華初心成仏抄 | 建治3年(’77) | 56歳 |