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帰し、緇素・貴賤ことごとく成仏を期す」云々。この文の心は、日本国は、京・鎌倉・筑紫・鎮西・みちおく、遠きも近きも法華一乗の機のみ有って、上も下も、貴きも賤しきも、持戒も破戒も、男も女も、皆おしなべて法華経にて成仏すべき国なりという文なり。譬えば、崑崙山に石なく、蓬萊山に毒なきがごとく、日本国は純らに法華経の国なり。
しかるに、「法華経は元よりめでたき御経なれば、誰か信ぜざる」と語には云って、しかも昼夜朝暮に弥陀念仏を申す人は、薬はめでたしとほめて、朝夕毒を服する者のごとし。あるいは「念仏も法華経も一なり」と云わん人は、石も玉も、上﨟も下﨟も、毒も薬も一なりと云わん者のごとし。
その上、法華経を怨み、嫉み、悪み、毀り、軽しめ、賤しむ族のみ多し。経に云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」。また云わく「如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」の経文、少しも違わず当たれり。されば、伝教大師、釈して云わく「代を語れば則ち像の終わり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云わく『なお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや』。この言、良に以有るなり」と。
これらの文釈をもって知るべし、日本国に法華経より外の真言・禅・律宗・念仏宗等の経教、山々寺々、朝野・遠近に弘まるといえども、正しく国に相応して仏の御本意に相叶い、生死を離るべき法にはあらざるなり。
問うて云わく、華厳宗には五教を立てて、「余の一切の経は劣れり。華厳経は勝る」と云い、真言宗には十住心を立てて、「余の一切経は顕教なれば劣るなり。真言宗は密教なれば勝れたり」と云う。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(048)法華初心成仏抄 | 建治3年(’77) | 56歳 |