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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

にも超え、師子音王仏の末の勝意比丘・無量の弟子等が喜根比丘をせめしにも勝れり。覚徳比丘がせめられし、不軽菩薩が杖木をこうぼりしも、限りあれば、これにはよもすぎじとぞおぼえ候。
 もし百千にも一つ、日蓮法華経の行者にて候わば、日本国の諸人、後生の無間地獄はしばらくおく、現身には国を失い他国に取られんこと、彼の徽宗・欽宗のごとく、優陀延王・訖利多王等のごとくならん。またその外は、あるいはその身は白癩・黒癩、あるいは諸悪重病疑いなかるべきか。もしその義なくば、また日蓮法華経の行者にあらじ。この身、現身には白癩・黒癩等の諸悪重病を受け取り、後生には提婆・瞿伽利等がごとく無間大城に堕つべし。
 日月を射奉る修羅は、その矢還って我が眼に立ち、師子王を吼うる狗犬は、我が腹をやぶる。釈子を殺せし波琉璃王は、水中の中の大火に入り、仏の御身より血を出だせし提婆達多は、現身に阿鼻の炎を感ぜり。金銅の釈尊をやきし守屋は、四天王の矢にあたり、東大寺・興福寺を焼きし清盛入道は、現身にその身もうる病をうけにき。彼らは皆大事なれども、日蓮がことに合わすれば小事なり。小事すら、なおしるしあり。大事、いかでか現罰なからん。
 悦ばしいかな、経文に任せて五の五百歳広宣流布をまつ。悲しいかな、闘諍堅固の時に当たって、この国修羅道となるべし。清盛入道と頼朝とは源平の両家、本より狗犬と猿猴とのごとし。小人・小福の頼朝をあだみしゆえに、宿敵たる入道の一門ほろびし上、科なき主上の西海に沈み給いしことは不便のことなり。これは、教主釈尊・多宝・十方の仏の御使いとして、世間には一分の失なき者を、一国の諸人にあだまするのみならず、両度の流罪に当てて、日中に鎌倉の小路をわたすこと朝敵のご