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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の内に七難をおこし、父母兄弟・王臣万民、互いに大怨敵となり、梟鳥が母を食らい、破鏡が父をがいするがごとく、自国をやぶらせて、結句は他国よりその国をせめさすべし」とみえて候。
 今、日蓮、一代聖教の明鏡をもって日本国を浮かべ見候に、この鏡に浮かんで候人々は、国敵・仏敵たること疑いなし。一代聖教の中に、法華経は明鏡の中の神鏡なり。銅鏡等は、人の形をばうかぶれども、いまだ心をばうかべず。法華経は、人の形を浮かぶるのみならず、心をもうかべ、心を浮かぶるのみならず、先業をも未来をも鑑み給うことくもりなし。
 法華経の第七の巻を見候えば、「如来滅して後において、仏の説きたもうところの経の因縁および次第を知って、義に随って実のごとく説かん。日月の光明の、能く諸の幽冥を除くがごとく、この人は世間に行じて、能く衆生の闇を滅す」等云々。文の心は、この法華経を一字も一句も説く人は、必ず一代聖教の浅深と次第とを能く能く弁えたらん人の説くべきことに候。譬えば、暦の三百六十日をかんがうるに、一日も相違せば万日ともに反逆すべし。三十一字を連ねたる一句一字も相違せば三十一字共に歌にてあるべからず。
 たとい一経を読誦すとも、始め寂滅道場より終わり双林最後にいたるまで、次第と浅深とに迷惑せば、その人は我が身も五逆を作らずして無間地獄に入り、これを帰依せん檀那も阿鼻大城に堕つべし。いかにいわんや、智人一人出現して一代聖教の浅深・勝劣を弁えん時、元祖が迷惑を相伝せる諸僧等、あるいは国師となり、あるいは諸家の師となりなんどせる人々、自らのきず顕るる上、人にかろしめられんことをなげきて、上に挙ぐる一人の智人を、あるいは国主に訴え、あるいは万人にそしらせん。