677ページ
は奉幣し、大法・秘法を尽くさずということなし。
また承久の合戦の御時は、天台座主・慈円、仁和寺の御室、三井等の高僧等を相催し、日本国にわたれるところの大法・秘法残りなく行われ給う。いわゆる承久三年辛巳四月十九日に十五壇の法を行わる。天台座主は一字金輪法等、五月二日は仁和寺の御室、如法愛染明王法を紫宸殿にて行い給う。また六月八日、御室、守護経法を行い給う。已上、四十一人の高僧、十五壇の大法。この法を行うことは日本に第二度なり。
権大夫殿は、このことを知り給うことなければ、御調伏も行い給わず。またいかに行い給うとも、彼の法々・彼の人々にはすぐべからず。仏法の御力と申し、王法の威力と申し、彼は国主なり、三界の諸王守護し給う。これは日本国の民なり、わずかに小鬼ぞまぼりけん。代々の所従、重々の家人なり。譬えば、王威をもって民をせめば、鷹の雉をとり、猫のねずみを食い、蛇がかえるをのみ、師子王の兎を殺すにてこそあるべけれ。なにしにか、かろがろしく天神地祇には申すべき。仏菩薩をばおどろかし奉るべき。師子王が兎をとらんに精進をすべきか。たかがきじを食わんにいのり有るべしや。いかにいのらずとも、大王の身として民を失わんには、大水の小火をけし、大風の小雲を巻くにてこそあるべけれ。
その上、大火に枯れ木を加うるがごとく、大河に大雨を下らすがごとく、王法の力に大法を行い合わせて、頼朝と義時との本命と元神とをば梵王と帝釈等に抜き取らせ給う。譬えば、古酒に酔える者のごとし。蛇の蝦の魂を奪うがごとし。頼朝と義時との御魂・御名・御姓をばかきつけて、諸尊・諸
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(047)神国王御書 | 建治元年(’75)* |