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には、下剋上・背上向下は国土亡乱の因縁なり。仏法には、権小の経々を本として実経をあなずる、大謗法の因縁なり。恐るべし、恐るべし。
嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖、ある時は一代聖教を五時に分け、ある時は二蔵と判ぜり。しかりといえども、竜樹菩薩造の百論・中論・十二門論・大論を尊んで、般若経を依憑と定め給い、天台大師を辺執して過ぎ給いしほどに、智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけ、ようよう近づいて法門を聴聞せしほどに、結句は一百余人の弟子を捨てて、般若経ならびに法華経をも講ぜず、七年に至って天台大師に仕えさせ給いき。高僧伝には「衆を散じ、身を肉橋と成す」と書かれたり。天台大師、高坐に登り給えば、寄って肩を足に備え、路を行き給えば、負い奉り給いて堀を越え給いき。吉蔵大師程の人だにも、謗法をおそれてかくこそつかえ給いしか。しかるを、真言・三論・法相等の宗々の人々、今すえずえに成って辺執せさせ給うは、自業自得果なるべし。
今の世に浄土宗・禅宗なんど申す宗々は、天台宗におとされし真言・華厳等に及ぶべからず。依経既に楞伽経・観経等なり。これらの経々は仏の出世の本意にもあらず、一時一会の小経なり。一代聖教を判ずるに及ばず。しかも彼の経々を依経として、一代の聖教を聖道・浄土、難行・易行、雑行・正行に分かちて、「教外に別伝す」なんどののしる。譬えば、民が王をしえたげ、小河の大海を納むるがごとし。かかる謗法の人師どもを信じて後生を願う人々は、無間地獄脱るべきや。しかれば、当世の愚者は、仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱れ、法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(046)善無畏抄 | 建治元年(’75)* |