天台大師、釈して云わく「法華は衆経を総括す乃至軽慢止まざれば、舌口中に爛る」等云々。妙楽大師云わく「已今当の妙、ここにおいて固く迷えり。舌爛れて止まざることは、なおこれ華報なり。謗法の罪は、苦長劫に流る」等云々。天台・妙楽の心は、法華経に勝れたる経有りと云わん人は無間地獄に堕つべしと書かれたり。善無畏三蔵は、法華経と大日経とは理は同じけれども事の印・真言は勝れたりと書かれたり。しかるに、二人の中に一人は必ず悪道に堕つべしとおぼうるところに、天台の釈は経文に分明なり。善無畏の釈は経文にその証拠見えず。その上、閻魔王の責めの時、我が内証の肝心とおぼしめす大日経等の三部経の内の文を誦せず、法華経の文を誦してこの責めをまぬかれぬ。疑いなく、法華経に真言まされりとおもう誤りをひるがえしたるなり。その上、善無畏三蔵の御弟子・不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日をば左右に立て、法華経・多宝仏をば不二の大日と定めて、両部の大日をば左右の臣下のごとくせり。
伝教大師は延暦二十三年の御入宋、霊感寺の順暁和尚に真言三部の秘法を伝わり、仏隴寺の行満座主に天台の宝珠をうけとり、顕密二道の奥旨をきわめ給いたる人。華厳・三論・法相・律宗の人々の自宗我慢の辺執を倒して天台大師に帰入せる由をかかせ給いて候。依憑集・守護章・秀句なんど申す書の中に、善無畏・金剛智・不空等は天台宗に帰入して、智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり。
各々思えらく、宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌うは常の習いなりと思えり。法然なんどは、またこの例を引いて、曇鸞の難・易、道綽の聖道・浄土、善導が正・雑二行の名目を引いて、天台・真言等の大法を念仏の方便と成せり。これらは牛跡に大海を入れ、県の額を州に打つ者なり。世間の法
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(046)善無畏抄 | 建治元年(’75)* |