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(044)
二乗作仏事
文永後期
爾前得道の旨たる文。経に云わく「諸の菩薩を見る」等云々。また云わく「始見我身(始め我が身を見る)」等。これらの文のごときは、菩薩、初地・初住に叶うこと有ると見えたるなり。故に、「諸の菩薩を見る」の文の下には「しかも我らはこの事に預からず」と。また「始見」の文の下には「先より修習せるをば除く」等云々。これは、爾前に二乗作仏無しと見えたる文なり。
問う。顕露定教には二乗作仏を許すや。顕露不定教にはこれを許すか。秘密にはこれを許すか。爾前の円には二乗作仏を許すや。別教にはこれを許すか。
答う。詮ずるところは、重々の問答有りといえども、皆これを許さざるなり。詮ずるところは、二乗界の作仏を許さずんば、菩薩界の作仏も許さざるか。衆生無辺誓願度の願の闕くるが故なり。釈は、菩薩の得道と見えたる経文を消するばかりなり。詮ずるところ、華・方・般若の円の菩薩も初住に登らず。また凡夫・二乗は勿論なり。「一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ」の文の下にて、このことは意得べきなり。
問う。円の菩薩に向かっては二乗作仏を説くか。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(044)二乗作仏事 | 文永後期 |