653ページ
として釈成し給い畢わんぬ。ここに知んぬ、止観一部は迹門の分斉に似たりということを。
もし奪ってこれを論ぜば、爾前・権大乗、即ち別教の分斉なり。その故は、天台己証の止観とは、道場所得の妙悟なり。いわゆる、天台大師、大蘇の普賢道場において三昧を開発し、証をもって師に白す。師曰わく「法華の前方便の陀羅尼なり」。霊応伝の第四に云わく「智顗、師に代わって金字経を講ず。『一心に万行を具足す』の処に至って、顗、疑いあり。思、ために釈して曰わく『汝が疑うところは、これ乃ち大品の次第の意なるのみ。いまだこれ法華の円頓の旨にあらざるなり』と」文。講ずるところの経、既に権大乗経なり。また次第と云えり。故に別教なり。開発せし陀羅尼、また法華の前方便と云えり。故に知んぬ、爾前帯権の経、別教の分斉なりということを。己証既に前方便の陀羅尼なり。止観とは、「己心の中に行ずるところの法門を説く」と云うが故に、明らかに知んぬ、法華の迹門に及ばずということを。いかにいわんや本門をや。もしこの意を得ば、檀那流の義もっとも吉きなり。これらの趣をもって、「止観は法華に勝る」と申す邪義をば、問答有るべく候か。
委細の旨は別に一巻書き進らせ候なり。また日蓮相承の法門・血脈、たしかにこれを註し奉る。恐々謹言。
文永十二乙亥二月二十八日 日蓮 花押
最蓮房御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(043)立正観抄送状 | 文永12年(’75)2月28日 | 54歳 | 最蓮房 |