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問う。天台大師の止観一部、ならびに一念三千・一心三観・己心証得の妙観は、しかしながら法華経に依るという証拠、いかん。
答う。予、反詰して云わく、法華経に依らずと見えたる証文、いかん。
人これを出だして云わく「この止観は、天台智者、己心の中に行ずるところの法門を説く」。あるいはまた、「故に、止観の『正しく観法を明かす』に至って、ならびに三千をもって指南となす。乃ちこれ終窮究竟の極説なり。故に、序の中に『己心の中に行ずるところの法門を説く』と云えり。良に以有るなり」文。
難じて云わく、この文は全く法華経に依らずという文にあらず。既に「己心の中に行ずるところの法門を説く」と云うが故なり。天台の行ずるところの法門は法華経なるが故に、この意は、法華経に依ると見えたる証文なり。
ただし、他宗に対するの時は、問答は大綱を存すべきなり。いわゆる、云うべし「もし天台の止観は法華経に依らずといわば、速やかに捨つべきなり」と。その故は、天台大師、兼ねて約束して云わく「修多羅と合わば、録してこれを用いる。文無く義無ければ信受すべからず」云々。伝教大師云わく「仏説に依憑せよ。口伝を信ずることなかれ」文。竜樹、大論に云わく「修多羅に依るは白論なり。修多羅に依らざるは黒論なり」文。教主釈尊云わく「法に依って人に依らざれ」文。天台は、法華経に依り竜樹を高祖にしながら、経文に違し、我が言を翻して、外道・邪見の法に依って止観一部を釈すること、全く有るべからざるなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(042)立正観抄 | 文永11年(’74) | 53歳 | 最蓮房 |