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うべし。
この法門は、迹門と爾前と相対して爾前の強きようにおぼゆ。もし爾前つよるならば、舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべし。いかんがなげかせ給うらん。
二には、教主釈尊は、住劫第九の減・人寿百歳の時、師子頰王には孫、浄飯王には嫡子、童子悉達太子、一切義成就菩薩これなり。御年十九の御出家、三十成道の世尊、始め寂滅道場にして実報華王の儀式を示現して、十玄・六相・法界円融・頓極微妙の大法を説き給い、十方の諸仏も顕現し、一切の菩薩も雲集せり。土といい、機といい、諸仏といい、始めといい、何事につけてか大法を秘し給うべき。されば、経文には「自在力を顕現し、円満なる経を演説す」等云々。一部六十巻は一字一点もなく円満なる経なり。譬えば、如意宝珠は一珠も無量珠も共に同じ、一珠も万宝を尽くして雨らし、万珠も万宝を尽くすがごとし。華厳経は一字も万字もただ同じき事なるべし。「心、仏および衆生」の文は、華厳宗の肝心なるのみならず、法相・三論・真言・天台の肝要とこそ申し候え。
これら程いみじき御経に何事をか隠すべきなれども、「二乗と闡提とは成仏せず」ととかれしは珠のきずとみゆる上、三処まで「始めて正覚を成ず」となのらせ給いて、久遠実成の寿量品を説きかくさせ給いき。珠の破れたると、月に雲のかかれると、日の蝕したるがごとし。不思議なりしことなり。
阿含・方等・般若・大日経等は、仏説なればいみじきことなれども、華厳経にたいすればいうにかいなし。彼の経に秘せんこと、これらの経々にとかるべからず。されば、諸の阿含経に云わく「初めて成道す」等云々。大集経に云わく「如来成道してより始めて十六年なり」等云々。浄名経に云わ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |