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う。広長舌を出だして、上梵世に至らしめ、一切の毛孔より乃至十方の世界の衆の宝樹の下、師子座の上の諸仏もまたかくのごとく、広長舌を出だし、無量の光を放ちたもう」等云々。また云わく「十方より来りたまえる諸の分身の仏をして、各本土に還らしめんとして乃至多宝仏の塔は、還って故のごとくしたもうべし」等云々。
大覚世尊初成道の時、諸仏十方に現じて釈尊を慰諭し給う上、諸の大菩薩を遣わしき。般若経の御時は、釈尊長舌を三千におおい、千仏十方に現じ給う。金光明経には四方の四仏現ぜり。阿弥陀経には六方の諸仏、舌を三千におおう。大集経には十方の諸の仏菩薩、大宝坊にあつまれり。
これらを法華経に引き合わせてかんがうるに、黄石と黄金と、白雲と白山と、白氷と銀鏡と、黒色と青色とをば、翳眼の者、眇目の者、一眼の者、邪眼の者は見たがえつべし。
華厳経には、先後の経なければ仏語相違なし。なににつけてか大疑いで来べき。大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経等は、諸小乗経の二乗を弾呵せんがために十方に浄土をとき、凡夫・菩薩を欣慕せしめ、二乗をわずらわす。小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆえに、あるいは十方に仏現じ給い、あるいは十方より大菩薩をつかわし、あるいは十方世界にもこの経をとくよしをしめし、あるいは十方より諸仏あつまり給う。あるいは釈尊舌を三千におおい、あるいは諸仏の舌をいだすよしをとかせ給う。これひとえに、諸小乗経の「十方世界にただ一仏のみ有り」ととかせ給いしおもいをやぶるなるべし。法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違出来して、舎利弗等の諸の声聞・大菩薩・人天等に「はた、魔の仏と作るにあらずや」とおもわれさせ給う大事にはあらず。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |