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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

口・怨嫉ばかりなり。これは両度の御勘気、遠国に流罪せられ、竜の口の頸の座、頭の疵等、その外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、籠に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出だされし、これらの大難には、竜樹・天台・伝教も、いかでか及び給うべき。されば、如説修行の法華経の行者には、三類の強敵打ち定んで有るべしと知り給え。
 されば、釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておき候いぬ、末法に入っては、日蓮ならびに弟子檀那等これなり。
 我らを如説修行の者といわずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。提婆・瞿伽利・善星・弘法・慈覚・智証・善導・法然・良観房等は即ち法華経の行者と云われ、釈尊・天台・伝教・日蓮ならびに弟子檀那は、念仏・真言・禅・律等の行者なるべし。法華経は方便権教と云われ、念仏等の諸経は還って法華経となるべきか。東は西となり西は東となるとも、大地は持つところの草木共に飛び上がって天となり、天の日月・星宿は共に落ち下って地となるためしはありとも、いかでかこの理あるべき。
 哀れなるかな、今、日本国の万人、日蓮ならびに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑うとも、昨日は人の上、今日は身の上なれば、日蓮ならびに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つばかりぞかし。只今仏果に叶って寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈んで大苦に値わん時、我らいかばかり無慙と思わんずらん、汝等いかばかりうらやましく思わんずらん。