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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(036)

如説修行抄

 文永10年(ʼ73)5月 52歳 門下一同

 夫れ以んみれば、末法流布の時、生をこの土に受け、この経を信ぜん人は、如来の在世より「猶多怨嫉(なお怨嫉多し)」の難甚だしかるべしと見えて候なり。
 その故は、在世は、能化の主は仏なり、弟子また大菩薩・阿羅漢なり。人天・四衆・八部・人非人等なりといえども、調機調養して法華経を聞かしめ給う、なお怨嫉多し。いかにいわんや、末法今の時は、教・機・時刻当来すといえども、その師を尋ぬれば凡師なり、弟子また闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり。故に、善師をば遠離し、悪師には親近す。その上、真実の法華経の如説修行の行者の師弟・檀那とならんには、三類の敵人決定せり。
 されば、この経を聴聞し始めん日より思い定むべし。「況滅度後(いわんや滅度して後をや)」の大難の三類甚だしかるべしと。しかるに、我が弟子等の中にも、兼ねて聴聞せしかども、大小の難来る時は、今始めて驚き、肝をけして信心を破りぬ。兼ねて申さざりけるか、経文を先として「猶多怨嫉。況滅度後。況滅度後」と朝夕教えしことは、これなり。予が、あるいは所をおわれ、あるいは疵を蒙り、あるいは両度の御勘気を蒙って遠国に流罪せらるるを見聞くとも、今始めて驚くべきにあらざるも