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下をきらわず、牛馬・狼狗・鵰鷲・蚊虻等の五十二類の一類の数、大地微塵をもつくしぬべし。いわんや五十二類をや。この類、皆、華香・衣食をそなえて最後の供養とあてがいき。「一切衆生の宝の橋おれなんとす。一切衆生の眼ぬけなんとす。一切衆生の父母・主君・師匠死なんとす」なんど申すこえひびきしかば、身の毛のいよ立つのみならず、涙を流す。なんだをながすのみならず、頭をたたき、胸をおさえ、音も惜しまず叫びしかば、血の涙・血のあせ、俱尸那城に大雨よりもしげくふり、大河よりも多く流れたりき。これひとえに、法華経にして仏になりしかば、仏の恩の報ずることかたかりしなり。
かかるなげきの庭にても、法華経の敵をば舌をきるべきよし、座につらなるまじきよし、ののしり侍りき。迦葉童子菩薩は、「法華経の敵の国には霜・雹となるべし」と誓い給いき。その時、仏は臥よりおきてよろこばせ給いて、「善きかな、善きかな」と讃め給いき。諸の菩薩は仏の御心を推して、「法華経の敵をうたんと申さば、しばらくもいき給いなん」と思って、一々の誓いはなせしなり。されば、諸の菩薩・諸の天人等は、「法華経の敵の出来せよかし。仏前の御誓いはたして、釈迦尊ならびに多宝仏、諸仏如来にも、『げに仏前にして誓いしがごとく、法華経の御ためには名をも身命をも惜しまざりけり』と思われまいらせん」とこそおぼすらめ。
いかに申すことはおそきやらん。大地はささばはずるるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬことはありとも、日は西より出ずるとも、法華経の行者の祈りのかなわぬことはあるべからず。
法華経の行者を、諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一つも来ってまぼり給わ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(035)祈禱抄 | 文永9年(’72) | 51歳 |