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つぶさに三逆を犯し、結句は五天竺の悪人を集め、仏ならびに御弟子・檀那等にあだをなすほどに、頻婆娑羅王は仏の第一の御檀那なり。一日に五百輛の車を送り、日々に仏ならびに御弟子を供養し奉りき。提婆そねむ心深くして、阿闍世太子を語らいて、父を終に一尺の釘七つをもってはりつけになし奉りき。終に王舎城の北門の大地破れて阿鼻大城に堕ちにき。三千大千世界の人、一人もこれを見ざることなかりき。
されば、大地微塵劫は過ぐとも無間大城をば出ずべからずとこそ思い候に、法華経にして天王如来とならせ給いけるにこそ、不思議に尊けれ。提婆達多、仏になり給わば、語らわれしところの無量の悪人、一業の所感なれば、皆、無間地獄の苦ははなれぬらん。これひとえに法華経の恩徳なり。されば、提婆達多ならびに従うところの無量の眷属は、法華経の行者の室宅にこそ住まわせ給うらめとたのもし。
諸の大地微塵のごとくなる諸の菩薩は、等覚の位までせめて元品の無明ばかりもちて侍るが、釈迦如来に値い奉って元品の大石をわらんと思うに、教主釈尊、四十余年が間は「因分は説くべし、果分は説くべからず」と申して、妙覚の功徳を説き顕し給わず。されば、妙覚の位に登る人一人もなかりき。本意なかりしことなり。しかるに、霊山八年が間に「ただ一仏乗のみを名づけて果分となす」と説き顕し給いしかば、諸の菩薩、皆妙覚の位に上りて、釈迦如来と悟り等しく、須弥山の頂に登って四方を見るがごとく、長夜に日輪の出でたらんがごとく、あかなくならせ給いたりしかば、仏の仰せ無くとも、「法華経を弘めじ、また行者に替わらじ」とはおぼしめすべからず。されば、「我は身
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(035)祈禱抄 | 文永9年(’72) | 51歳 |