仏、この法華経をさとりて仏に成り、しかも人に説き聞かせ給わずば、仏種をたたせ給う失あり。この故に、釈迦如来はこの娑婆世界に出でて説かんとせさせ給いしを、元品の無明と申す第六天の魔王が一切衆生の身に入って、仏をあだみて説かせまいらせじとせしなり。いわゆる、波瑠璃王の五百人の釈子を殺し、鴦崛摩羅が仏を追い、提婆が大石を放ち、旃遮婆羅門女が鉢を腹にふせて仏の御子と云いし、婆羅門城には仏を入れ奉る者は五百両の金をひきき。されば、道にはうばらをたて、井には糞を入れ、門にはさかむぎをひけり、食には毒を入れし、皆これ仏をにくむ故に。華色比丘尼を殺し、目連は竹杖外道に殺され、迦留陀夷は馬糞に埋もれし、皆、仏をあだみし故なり。
しかれども、仏さまざまの難をまぬかれて、御年七十二歳、仏法を説き始められて四十二年と申せしに、中天竺王舎城の丑寅、耆闍崛山と申す山にして、法華経を説き始められて、八年まで説かせ給いて、東天竺俱尸那城跋提河の辺にして、御年八十と申せし二月十五日の夜半に、御涅槃に入らせ給いき。しかりといえども、御悟りをば法華経と説きおかせ給えば、この経の文字は即ち釈迦如来の御魂なり。一々の文字は仏の御魂なれば、この経を行ぜん人をば、釈迦如来、我が御眼のごとくまぼり給うべし。人の身に影のそえるがごとくそわせ給うらん。いかでか祈りとならせ給わざるべき。
一切の菩薩は、また始め華厳経より四十余年の間、仏にならんと願い給いしかども、かなわずして法華経の方便品の略開三顕一の時、「仏を求むる諸の菩薩は、大数八万有り。また諸の万億国の転輪聖王は至れり。合掌し敬心をもって、具足の道を聞きたてまつらんと欲す」と願いしが、広開三顕一を聞いて、「菩薩はこの法を聞いて、疑網は皆すでに断ちぬ」と説かせ給いぬ。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(035)祈禱抄 | 文永9年(’72) | 51歳 |