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(035)
祈禱抄
文永9年(ʼ72) 51歳
本朝沙門日蓮撰す。
問うて云わく、華厳宗・法相宗・三論宗・小乗の三宗・真言宗・天台宗の祈りをなさんに、いずれかしるしあるべきや。
答えて云わく、仏説なれば、いずれも一往は祈りとなるべし。ただし、法華経をもっていのらん祈りは必ず祈りとなるべし。
問うて云わく、その所以は、いかん。
答えて云わく、二乗は、大地微塵劫を経て先四味の経を行ずとも、成仏すべからず。法華経は須臾の間これを聞いて仏になれり。もししからば、舎利弗・迦葉等の千二百・万二千、総じて一切の二乗界の仏は、必ず法華経の行者の祈りをかなうべし。また行者の苦にもかわるべし。
故に、信解品に云わく「世尊は大恩まします。希有の事をもって、憐愍・教化して、我らを利益したもう。無量億劫にも、誰か能く報ずる者あらん。手足もて供給し、頭頂もて礼敬し、一切もて供養すとも、皆報ずること能わじ。もしもって頂戴し、両肩に荷負して、恒沙劫において、心を尽くして
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(035)祈禱抄 | 文永9年(’72) | 51歳 |