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大善神も、法味をなめざるか、国中を去り給うかの故に、悪鬼便りを得て国すでに破れなんとす。
ここに、予、愚見をもって前四十余年と後八年との相違をかんがえみるに、その相違多しといえども、まず世間の学者もゆるし我が身にもさもやとうちおぼうることは、二乗作仏・久遠実成なるべし。
法華経の現文を拝見するに、舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来、須菩提は名相如来、迦旃延は閻浮那提金光如来、目連は多摩羅跋栴檀香仏、富楼那は法明如来、阿難は山海慧自在通王仏、羅睺羅は蹈七宝華如来、五百・七百は普明如来、学・無学二千人は宝相如来、摩訶波闍波提比丘尼・耶輸多羅比丘尼等は一切衆生喜見如来・具足千万光相如来等なり。これらの人々は、法華経を拝見したてまつるには尊きようなれども、爾前の経々を披見の時は、きょうさむることどもおおし。
その故は、仏世尊は実語の人なり。故に聖人・大人と号す。外典・外道の中の賢人・聖人・天仙なんど申すは、実語につけたる名なるべし。これらの人々に勝れて第一なる故に、世尊をば大人とは申すぞかし。この大人、「ただ一大事の因縁をもっての故に、世に出現したもう」となのらせ給いて、「いまだ真実を顕さず」「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」「正直に方便を捨つ」等云々。多宝仏証明を加え、分身舌を出だす等は、舎利弗が未来の華光如来、迦葉が光明如来等の説をば、誰の人か疑網をなすべき。
しかれども、爾前の諸経もまた仏陀の実語なり。大方広仏華厳経に云わく「如来の智慧・大薬王樹はただ二処においてのみ生長の利益をなすこと能わず。いわゆる二乗の無為広大の深坑に堕つると、および善根を壊る非器の衆生の大邪見・貪愛の水に溺るるとなり」等云々。この経文の心は、雪山に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |