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数をしらず。師を恭敬すること、諸天の帝釈をうやまい、諸臣の皇帝を拝するがごとし。しかれども、外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。善師につかえては二生三生等に悪道に堕ち、悪師につかえては順次生に悪道に堕つ。
外道の所詮は内道に入る即ち最要なり。ある外道云わく「千年已後、仏世に出ず」等云々。ある外道云わく「百年已後、仏世に出ず」等云々。大涅槃経に云わく「一切世間の外道の経書は、皆これ仏説にして外道の説にあらず」等云々。法華経に云わく「衆に三毒有りと示し、また邪見の相を現ず。我が弟子はかくのごとく、方便もて衆生を度す」等云々。
三には、大覚世尊はこれ一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等なり。外典・外道の四聖・三仙、その名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫、その名は賢なりといえども実には因果を弁えざること嬰児のごとし。彼を船として生死の大海をわたるべしや。彼を橋として六道の巷こえがたし。我が大師は、変易すらなおわたり給えり、いわんや分段の生死をや。元品の無明の根本なおかたぶけ給えり、いわんや見思の枝葉の麤惑をや。
この仏陀は、三十成道より八十御入滅にいたるまで五十年が間、一代の聖教を説き給えり。一字一句、皆真言なり。一文一偈、妄語にあらず。外典・外道の中の聖賢の言すら、いうことあやまりなし。事と心と相符えり。いわんや、仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人。されば、一代五十余年の説教は、外典・外道に対すれば大乗なり、大人の実語なるべし。初成道の始めより泥洹の夕べにいたるまで、説くところの所説、皆真実なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |