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持妙法華問答抄
弘長3年(ʼ63) 42歳
そもそも、希に人身をうけ、たまたま仏法をきけり。しかるに、法に浅深あり人に高下ありと云えり。いかなる法を修行してか、速やかに仏になり候べき。願わくは、その道を聞かんと思う。
答えて云わく、家々に尊勝あり、国々に高貴あり。皆その君を貴み、その親を崇むといえども、あに国王にまさるべきや。ここに知んぬ、大小・権実は家々の諍いなれども、一代聖教の中には法華独り勝れたり。これ、頓証菩提の指南、直至道場の車輪なり。
疑って云わく、人師は経論の心を得て釈を作る者なり。しからば則ち、宗々の人師、面々各々に、教門をしつらい、釈を作り義を立てて菩提を証得せんと志す。何ぞ虚しかるべきや。しかるに、法華独り勝ると候わば、心せばくこそ覚え候え。
答えて云わく、法華独りいみじと申すが心せばく候わば、釈尊程心せばき人は世に候わじ。何ぞ誤りの甚だしきや。しばらく一経・一流の釈を引いて、その迷いをさとらせん。
無量義経に云わく「種々に法を説きき。種々に法を説くことは、方便力をもってす。四十余年にはいまだ真実を顕さず」云々。この文を聞いて、大荘厳等の八万人の菩薩、一同に「無量無辺不可思議
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(030)持妙法華問答抄 | 弘長3年(’63) | 42歳 |