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法僧を謗ぜしむ」等云々。この二人の中には「信じて解せず」の者を謗法と説く、いかん。
答えて云わく、この「信じて解せず」の者は、涅槃経の三十六に、恒河の七種の衆生の第二の者を説くなり。この第二の者は、涅槃経の「一切衆生ことごとく仏性有り」の説を聞いてこれを信ずといえども、また不信の者なり。
問うて云わく、いかんぞ、信ずといえども不信なるや。
答えて云わく、「一切衆生ことごとく仏性有り」の説を聞いてこれを信ずといえども、また心を爾前の経に寄する一類の衆生をば、無仏性の者と云うなり。これ「信じて信ぜず」の者なり。
問うて云わく、証文いかん。
答えて云わく、恒河第二の衆生を説いて云わく、経に云わく「かくのごとき大涅槃経を聞くことを得て信心を生ずる、これを名づけて出となす」。また云わく「仏性はこれ衆生に有りと信ずといえども、必ずしも一切みなこれ有るにはあらずとす。この故に名づけて信不具足となす」文。この文のごとくんば、口には涅槃を信ずといえども、心に爾前の義を存する者なり。またこの第二の人を説いて云わく「信ずる者にして慧無きは、顚倒して義を解するが故に」等云々。「顚倒して義を解す」とは、実経の文を得て権経の義を覚る者なり。
問うて云わく、「信じて解せず」のものの得道の文いかん。
答えて云わく、涅槃経の三十二に云わく「この菩提の因はまた無量なりといえども、もし信心を説かば、すでに摂め尽くす」文。九に云わく「この経を聞き已わって、ことごとく菩提の因縁と作る。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(029)顕謗法抄 | 弘長2年(’62) | 41歳 |